SPLから独立しelysiaを設立したルーベンCEOと共に。SPLと同じくelysiaでも国際エンドーサーを務める。
SPL国際公式エンドーサー
古屋博敏
SPLとの出会いは突然であり、あまりにもドラマティックなものであった。マスタリング用のコンソールを探していた当時、SPL社はプロトタイプとも言える伝説的なコンソールを特注で受け付けており、その納品先としてベルギーのギャラクシースタジオを提示され、「素晴らしい機材だから一度触りに来ないか?」という連絡をマーケティングマネージャーのサーシャ・フロッケンから受け取った。
SPL本社にて新製品を前にサーシャ・フロッケンと共に。写真右は現在プロダクトスペシャリストを務める加瀬裕一。
流石にヨーロッパまで一飛びというわけには行かず、多少時間を要したがその1年後にはドイツの土を踏んでいた。その折にはDMCという新たなマスタリングコンソールが発表になる少し前であったと思うが、同時に国際エンドーサーとしてのオーディションも兼ねることになっていた。そして僕の泊まっているホテルまでサーシャが迎えに来てくれ、車で色々と話し込み、SPL社のすぐ近くにあるステーキハウスで食事をさせてくれ、意気投合した僕たちはお互いにベストフレンドと呼び合う仲にまでなった。
エンドーサーのオーディションに合格し、その後SPL社からもたらされる情報は、国内やインターネット上で得られるものとは全く次元の違うものであった。一番大きかったのは、2018年のドイツワールドカップ公式曲のマスタリングを紹介してくれたのはサーシャであり、僕はそのオーディションに参加する資格を得た。競合はアビー・ロード・スタジオとスターリングであり、サーシャがしてくれたことは僕をこの土俵に上げるまでであったし、アビー・ロード・スタジオもスターリングもSPLにとっては顧客であることから、ある意味フラットな競争といった感じであった。あとは自分次第ということであることは言うまでもなく、あれよあれよという間にそのオーディションが通り、僕はドイツのワールドカップ公式曲を担当することになった。欧米で少しの実績はあったが、アビー・ロードやスターリングには足元にも及ばないベンチャーの僕が、フラットな形でなんの色目もなくオーディションを通るところは、何とも欧米らしい結果であったと思う。
トーンマイスターの2人とケルンにて。日韓ワールドカップのメインミキシングを担当したフォルガー(左)は、SPLユーザー。
ウィーンにて、ウィーンフィルハーモニーとカーフマンのレコーディングに参加した。ともに写っているメインエンジニアのゲオルグは、グラムフォンレコードのプロデューサーでもある。
そんなSPLとの出会いと活動から、次は僕の運営する会社が代理店契約をするという、これまででは更に前代未聞の試みを行ってくるところが何とも世界規模で動く企業らしい。そして現在SPL JAPANは、世界で最も大きな市場を開拓した実績をも手に入れる所まで来た。それは僕が寝食を忘れるほどに情熱を傾けられた事業であったし、世界の強烈なエネルギーを自分のものとしながら突き進んだ結果でもあると思う。この原動力は、何と言ってもSPLの魅力的な製品群たちが後押しし、その哲学をとことん学びたいという衝動こそが、このステージまで僕たちを引き上げてくれたのだと思う。
このとてつもなく広い世界観と感動、そして情熱を日本の皆様へ更に届けられたらと切に願っている。
マスタリング参加曲:サッカーワールドカップ2018ドイツ公式曲